「短編作品だったら、短期間でつくれる」「短編作品は気軽にやれる」と言う演出家にはなりたくない。私は、そう思いながら短編作品をつくってきた。
こういう書き出しだと、私が攻撃的な人間に見えるでしょう(そう思っていることは事実)。攻撃性を表現するためだけに、他の要素を削り切って文章を書きました。しかし、私は攻撃性だけを持った人間ではありません。短編演劇は、「削られた(であろう)情報」をどのように読み取り、それをどのように表現するかが肝となります。
短編作品と長編作品には、脚本に書かれる情報量の差が明確です。しかし、観客が受け取りうる情報量は非常に多い。その点に、つくり手は敏感でなくてはなりません。観客が受け取りうる情報を精査し、表現する意図を明確にし、表現方法を模索する。その為の時間はいくらあっても足りないし、その難しさは長編作品をつくるときと大差ないと思っています。
私も演出家として、短編作品をつくる時は長編作品をつくる時と同じくらい必死につくっています。そのもがき苦しんだ果てを、ぜひ楽しんでいただけたら幸いです。また、長編作品も創作中ですので、そちらも楽しみにしていただけるとより嬉しいです。
2021.7.8
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